2008年09月03日

長崎、あじな旅、うまい旅(1)

 羽田空港の出発ロビーで、遅れている搭乗手続き待ち。電光掲示板の天気予報は雨。先ほどは曇。「長崎は今日も雨」では洒落にならない。羽田から長崎。長崎空港から上五島(かみごとう)空港(中通島)に小型飛行機(8人乗り)でフライトの予定。
 
 長崎空港ビル内にある「オリエンタル・エア・ブリッジ」受付で小型機のフライトを確認。欠航。全額返金にて対応。
 今回は長崎の「味の旅」をすることにしました。
 長崎空港は大村湾に浮かんでいる「ウオーターフロート」空港。だから、船に乗って、対岸の「時津(とぎつ)」に行き、そこから、バスで長崎市内に入る。長崎空港は小雨。乗船中の空も小雨。バス乗車の時は曇り。ところが、市内に向かう道中にカミナリ、激雨。バスの窓ガラスの隙間から雨水が漏れ注ぐ。バスが停車して、人が乗り込んで来ると、濡れた傘と服の雫でバスの床はビショビショ。
 終点の「長崎駅」前で、折りたたみの傘を広げて、他の乗客と一緒にバスを降りる。陸橋の階段を上って陸橋を渡って長崎駅の前の屋根つきの広場に行き、コインロッカーをさがしているとき雨が止む。
 JR長崎駅前・広場の左にある「観光案内所」で、電気軌道(チンチン電車)の「電車一日乗車券」(600円)を購入。この乗車券はスグレモノ。少し厚手の紙でB5サイズの三つ折。
広げると、「電車路線案内図」。現在、長崎市街を走る「電気軌道」は4路線。1系統は紺、3系統は赤、「正覚寺下ー蛍茶屋(しょうがくじしたーほたるぢゃや)」を往復する4系統は黄、「石橋ー蛍茶屋」の5系統は緑と分かりやすい。おまけに、手描きのイラストで観光名所を紹介。さらに、ローマ字でルビまで振ってある。乗車券とすれば大きいけれど、観光地図と考えればコンパクト。
 旅行カバンをコインロッカーに預ける。陸橋を早足に歩き「赤迫(あかさこ)」方面からきた1系統「正覚寺下(しょうがくじした)」行のチンチン電車に乗る。町───—西—観光通り
 「観光通り」で降りて、信号を渡り、アーケード通りを歩いて、「しっぽく 浜勝」に入る。お店が坂道のところに構えられてあるので、1階だと思って入ったところが地下1階。和服姿の仲居さんに案内されて、上の1階の朱塗りの円卓の前に腰掛ける。2枚の取り皿(こざら)。
 卓袱(しっぽく)はコース料理。最初に出されたのが「お鰭(ひれ)」。はんぺん、四方鯛、しいたけ、青身野菜、もちなど山・海・野の幸が入った「お吸い物」。ほど良く燗のついた日本酒。ミニチュアの刺身(普通サイズの四分の一の刺身)。「湯引き」(新鮮な魚を熱湯にくぐらせる程度の、持ち味を生かすように料理された鱧[はも]、鱶[ふか]、あら)。「豚の角煮」(豚の三枚身をたっぷりの地酒と特製のだしで、コトコトとじっくり煮上げ、べっこう色)。………
 最後は「梅椀」です。「梅椀」は甘いものという意味です。今回は「お汁粉」が出ました。
 雨がやんだので、食後は「眼鏡橋」まで散策。その後、チンチン電車で「出島」に戻る。
     観光通り─西浜町(はまのまち)—築町(つきまち)—出島(でじま)

質問: 出島は寛永13年(1636)に江戸幕府が長崎の有力町人に命じて作らせた人工島ですが、その形は?  
    ① 円形  ② 正方形  ③ 等脚台形  ④ 扇形
 
 出島に到着。
 鎖国時代に西洋との唯一の窓口だった出島。当初はポルトガル人を住まわせるために築かれた扇形の埋立地でした。寛永14年(1637)、島原の乱が起こりました。この事件をきっかけに幕府はポルトガル人を追放します。更に平戸にあったオランダ商館をここに移転させ、オランダ人を出島に住まわせることにしました。以後218年もの間、ここは西洋文化と日本文化の出会う、日本で唯一の貿易地となりました。約四千坪の広さがありました。
 高校生の修学旅行生が大勢いましたので、即刻、退散。「出島和蘭商館跡」を立ち去る。



Posted by テーム・セキグチ at 20:00 │島旅の話